のんびり綴る

うつ病栄養士の崖っぷち人生!

死にたいから殺したいへ

こんにちは柚餅子です。

まだ生きてます。
今日は具合がいい方です。
最近はもう何もかもどうでもよくなり、ブログも疎かになっていました。すみません。
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お花。
私も枯れたい。
 
ここ数日は、自殺に踏み切る気力もなく、同居人の監視のもと過ごしておりました。
死ぬ気があるのは確かなのですが、数日前思い切りがないから失敗ばかりしているということに気がつき、ドアノブでの非定型首吊り方実行方法も考えものだと思うようになりました。やはり地に足のつかない死刑で行われる状況に最も近い形が望ましいと感じます。
 
そんな私は最近、死にたいではなく殺したいと思うようになりました。
病の進行なのか治っているのか、どちらなのかはわかりませんが、自分を殺すことを目的とし生きています。
なかなか死なない私に対して苛立ちは感じますが、一応生きる目的ができたことでなんとか朝も起きられるし、家事もできるようになりました。
 
毎日どう死のうか考えていますが、もしまた失敗しても親との連絡を絶っているため、どのみちこのままでは餓死は免れない感じです。
首を吊った娘に対して3週間近く放置の上「元気〜?」と呑気なことをラインで聞いてきた人間を私は親だとは認識できません。他人です。
確実に死んで、今度会うときは死体で会うか、最低でも五体不満足で会うことが目標です。
 
明日こそ死のう明日こそ死のう、そればかりですが、とにかく少しづつ私を追い詰めてじわじわ殺したいと思います。
 
この思考をおかしいと思う方もいるかも知れません。
社会が怖く、何をしていても幻聴が聞こえ、死ななくては、殺さなくてはと焦り、家から出ることも出来ない私には生きる意味がありません。
いっそ手足をもいで障害者として生きていきたいくらいです。
障害者として認められれが少しは心が満たされるような気がします。
認めてもらえるということは、素晴らしいことです。
私が生まれてこのかた手にしたことのないものです。
 
死ぬ気になればなどという言葉がありますが、死ぬ気になったら死ぬことしかできないと思うのです。
例えどんな障害を持っていても死ぬ気になれないならば幸せなことなんじゃないかと思います。死ぬ気になって私が目標にしたことは、自分の殺害なのですから。
 
私は私を殺したい。
朝起きて、ダルくないと感じると鬱が治ったと思い絶望します。
また、あの生活が始まると。
鬱でない自分に存在価値などないとすら思ってしまいます。
私は社会に適応できないし、社会が怖くて、お金が怖くて、生きていることが怖くて、怖くて怖くて外に出られない。
けれど、それを親や親しい人に認めてもらえない苦痛で苦しいのです。
11年間耐えてきて、もう耐えるのは無理だと感じたから、もし鬱が治るのであれば死ぬしかないのです。
病という建前があれば認めてもらうことも可能であるはず、健常者じゃなければ否定されないはず、そんなことでと思われてもいいです。私は社会で生きていけない!
 
働けないものは生きていけないこの世のシステムで、働くことや社会に恐怖しか感じられない私は耐えられないのです。
 
ひとりぼっちの私にこの社会から逃げ出し生きていくことは不可能です。甘えと罵られ、怠けだといわれ、怖くて逃げたいのに頑張らなければならない、一人で恐怖に立ち向かうのはもう無理です。
だからせめて、貯金が尽きるその時までに私の殺害に私が成功していることを祈るしかないのです。